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今が私だ。これ以上でも以下でもない。

立命館アジア太平洋大学 

情けない。今日も生きた。情けない。死にたいと思いながら生きてきたなんて恥ずかしい。人生がどうにもならなくて、取り返しのつかない事ってあるんだね。ごめんね私。

わたしはみんなと比べて何か少しずれている。バカなんだ。ほんまもんのばか。勉強しない人は気持ち悪い、と言われる世界に来た。人生人生人生とたった22年間の人生を考えろ考えろと追い込んでくる何か。自信を持ってといわれるけれど、何もなかった人生に自信なんて持てるわけがない。誰も認めてくれない。先の人生のこと気にしてもどうにもならない。人生は臨機応変に決めていくものだからなんて言ってみた。これが習慣なのかと最近気が付き始めた。高校生からの友達を見て自分を顧みて悲しくなった。心が悲しい。何もない私と何か持っている彼女。嘆いたところで何も変わらない。この人生にしっくりこない。この選択が間違えている気がしてならない。でもみんなはこのまままっすぐ進めと言ってくる。このまま社会人になれと。たしかに20代は人生を大きく決定づける。人と人生を比べるなとかいうけれどそんなの無理だ。比べても何にもならないけれど。ずっと私は行動しないまま嘆いて安心して生きてきたけど、この人生に対する判決が下された。この先の人生ずっと過去を引きずって生きろという判決。これを覆さない限り私は人生ずっと間違えて生きることになる。この4年間でかなり認知症が進んだ。人間失格だな。

いま

人生の価値が露呈し死にたくなり、お前はまた死に逃げるのかと、怠け者だなと言われています。生きる場所がどこにもないなんて考えられませんね。たった100円でも人は恵んではくれません。たった100円、無駄遣いしたことあるとおもいます。でもその100円に泣く時が来る気がしています。お金と時間と自分の価値と人生と目標。なんかみんな重たすぎて私には関係のないことみたいに感じています。みんなが就職活動に精を出している中私は就活のことをバカにしています。生きていることがばかばかしい。なんでみんな死なないの。とばかり思っていました。働きたい奴は働いて死にたい奴は死ねばいい。そんな社会だよね。死にたいならあなたはそのままの貴方でもいいけれど、今あなたがここで死なない選択をするのならば(いくら心の中で死を熱望しても)生きることに責任を取らねばならない。責任とは「生きるを作ること」「形に残る、誰かから理解してもらえるような何かを生み出しながら生きること」「プラスに働区何かを自分のものに常にしながらいきること」自由も自然も美しさも動物的自由もこの世界で生きるのならば許されない。私の生きる世界では不要で邪魔なものらしい。不要なものは排除されていく。どんなに良くてもいらないから切り捨て。それが不服だと言っているうちは何物にもなれない。この世の不公平と理不尽を受け入れたふりをしながらも腹の底で別世界を構築し自分らしく生きるのが正解。組織の力は個人よりも強いことは明白だ。個々人で生きていてもその世界は必ず滅ぼされる。世界に1つしかない世界に自分しかいないのだから、周りに染まらないと傷つけられるだけだよね。

ひとりごとは言い訳を勝手に書いてしまっている。店長の面接ありがたいけれどもうスケジュールが決まらなくてもういい。

私は一人では生きていけません。肉体的には生きていてるでしょうがひとりで生きてるのは生きていないような感覚なのです。人といるとその時間が無駄ではないような気がします。生きるとは人と生きることです。一人で生きててもなんの生産性もありません。人を好きになったり尊敬したりすることは自分中から甘えを消すということです。自分の中の甘えは恥ずかしいものです。友達に夢があると知り、さらにそのために一日の睡眠時間を4時間にしていると知って自分何してんと思いました。そんなに純粋に生きてもいいのだと、わくわくしました。私にもあうあわないの人がいて無理に逢わない人に合わせると自分が自分ではなくなるし向上もしないのだなとおもいました。時と場合に依るけど。これって就職活動にも当てはまるのかなと思った。何でもできるとばかり思ってたバイト。すき家で働いた。ケンタッキーでも働いた。イメージ的にははきはきしてて明るくてって感じだった。そのイメージはCMや世間的なものから来ていた。確かに受け答えなどはきはきしているし店のイメージも明るいし忙しいものだった。でもはたらくひとがどうしても合わなかったし尊敬できなかったし好きになれなかったし、自分がここにいて成長できている実感が全くなくて、こんなにも誰にでもできる仕事はないし、ロボットでもできると思ってた。それに、私も未熟だったのもある。申し訳ないだなんて人に気を使うなんてできていなかった。だれも信用できていなかった。それにあそこは人腐っていた。上が客の悪口を言う。接客の仕方は教えてくれない。なにも厳しくなかった。BOOKOFFは人を大切にしてくれて私自身を見てくれていた。高野悦子の20歳の原点をよみたい。めるかりでPC買って今使っているけどなんでこの値段かわかった。遅いこの先お金がないからにもできない。

あまいねんて。あまいねんて。頼りすぎやねんて、自立しなくては。意味のないことはやめろ。もうおとなやねんて。店長!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!どどどどどどどどどどどどしよ。もももおもももももおもももももももももも

もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおどおおおおおおおちいいいよおおおおおおおううううううううばばばばばばがががああああああああああああああああああああああああインターンシップって何の意味があるの。ねええええええええええええええええええええええええええねねねねね、、、、人生怖すぎる

君を殺そうとしたとき君は死んだ。だから僕は罪人じゃない。死にたいから君を殺そうとしたのに。死ねないのか。死にたい死にたい死にたい。今から殺しにゆくよ僕の心を。僕は僕の心を殺して生物から物体になるんだ。君も来るかい、来たいなら心を殺さないといけないよ。心を殺すのは簡単なことだよ。意思と欲を押さえつけるんだよ。殺そう心を。

ある朝目覚めたらあの人がご飯を作っていたの。コーヒーまで入れてくれた。白米に卵焼きとみそしるにコーヒーって変な感じだけどそれがあの人らしくって心がじんわりとしてきた。なんでそこにいるのって聞いても返事してくれなくてもっとおおおおおきなこえで、ねえええ!っていったらこっちを見てにこっとしたね。目尻にできるしわとわらったら黒目が見えなくなるその目が懐かしくて懐かしくて朝から幸せな気分だった。あの人はもうここにはいないけれどきっとどこかで誰かに同じようなことをしているのだろう。私は今日も昨日と同じような時間を過ごしているよ。毎日毎日君のことが脳裏に浮かんでくるけど嫌じゃなくなった。どれもどれも素敵な君しか浮かんでこないの。だからいつも僕は心がほかほかするよ。ありがとうと愛してるよってちゃんと言えなかったことが引っかかるけど、そんな事もうどうでもいいや。ゴミ箱の中にある紙切れに君の名前を書いてまたゴミ箱に戻してやった。

ばあちゃんのことがたまにふと頭に浮かんでくるの。私こってこてのばあちゃんっこだから今でもばあちゃんが大好きなんだ、3年間も会いに行ってないけどね、やさしいし強いんだよ、とても。腰は曲がってるし、しわしわだし、入れ歯してるけれど健康なんだよ。私はばあちゃんが大好きなんだ。会いたいねまた、私のことを好きでいてくれるばあちゃんと、わたしがだいすきなばあちゃん。私はばあちゃんに立派な姿を見せてあげられていないよ。何か恩返しをね、ずっとしたいって思ってたんだ。何がいいのか全く分からないよ。好きな食べ物がゼリーってこと以外ばあちゃんの情報は持ってないなって気が付いた。私がばあちゃんのご飯好きってことをばあちゃんはよく知ってるね。会いに行かなくてごめんね、忘れたわけではないの。嫌いなわけでもないしどうでもよくなったわけでもないの、沢山そばにいてお話でもしたいなって思うけれど何を話していいのかさっぱりわからないの。ばあちゃんも私のこともう大人だって認識してるからなんか気を使いそうだし、ばあちゃんが好きだった私は小さなころの私だったね。今のこんな私をばあちゃんは好きでいてくれるのかな。あったらうれしいって言ってくれるのかな。私はねどんなに年を取ってもばあちゃんが好きだよ。

ぴゆのじ

誘い文句として、飴があるよ、食べない?さあ?って言って車に乗るように誘導した場面が映画であってまじかよって思ったんだけどその映画好きだから、その場面も好きになったよ。先生は詩を愛しています。だから私にぴったりな詩を一つ送ってくれたよ。読んだとき心に染み入るような気がして、さらにこれは先生が書いたものではないのに先生がこう言ってるような気がしてなんだか気恥ずかしくなった。心を見透かされ、そのうえで優しい心遣いをしてもらった、しかも身近な人に。恥ずかしさで胸がいっぱいだけどね、もちろん感謝もしてるのよ?ありがとうございますってちゃんと言ったし、心の中でも何回も言ったんだから。先生の顔が頭から離れないから、何か他のことをして気を紛らわせなくちゃね。一回から包丁のとんとんとんとんって音が聞こえる。野菜の匂いがするよ。草刈した後の草に香りのように、野菜もカットされたらふんわりと匂いがしますなあ。今日はなんだろう。

これら

加奈子ちゃんと今日もまたお出かけをしたよ。良く晴れた日でいい気分だったね。ぽかぽかしてて何もかもが楽しく思えたよ。君と歩くことも左肩の荷物が重かったことも君のキラキラした目を見ることも楽しかった。川に名前は知らないけど大きな白い鳥が黄色いくちばしを大きくあけて遠くを見ていたね。何を見ていたのかな、って聞いたら君は「今ここにはいない自分の子供の姿を目に浮かべているのだよ」といったね。あの鳥の子供はもう大人になって巣立ってしまって独りぼっちになったけど、頭の中にはいつも子供たちがいるから、たまに思い出しているんだね。雲のなかれが早くなってきた。綺麗なふわふわした雲が細長くなっていくよ。木の葉はみんな木から落ちてしまったね。木はまた今年も新しい木の葉をつけるね。死ぬまで同じサイクルを繰り返すんだね。私も死ぬまで毎日生きていたものの死骸を口にし、排便し、眠り、活動しながら、日本人として日本語を話しながら生きていくのだね。最後まで私は私です。今日の出来事は死ぬときに思い出しはしないでしょう。死ぬときは最近のことをやはり思い浮かべているのかな。みんな死にたくなくても死にたくても死ぬんだよね。何かをしてもしなくても考えなくても考えても結局はみんな同じなんだね。それでその人に価値があったかなかったか判断するのは神様ではなくてこの地球に住む生物ですね。最後まで私は人間なんです。最後まで私は父母兄弟のことを忘れないし飼った犬のことも忘れないのかな。この大学生活のことも記憶の中にあるんだろうな。何も生み出さなかった大学生活もついに私の一部になったね。

このまま生きていてもきついし迷惑をかけるだけだと確信しました。これから先良いことも夢も目標もありません。ただ現状を受け入れて押し殺してダサく生きるだけ。婆になるだけ。何もできない自分が悔しくて仕方ない。これ以上生きる事が無駄にしか思えない。結婚はできないし子供もできないし仕事は無駄なことしてる。無駄な人間関係に苛まれ周りの目にアンテナを張り気を使い「何のために生きているの」を繰り返しながら老いていく。老いた私に誰も価値を見出さない。好かれない。何もできないから迷惑かけながら生きる。辛くて涙が出そう。できる事が何もない。好きな人が一人もいない。気軽に話せる人もいない。10年20年先もずっと私のまま生きていくのが耐えられない。今日も無駄な一日を過ごした。私は甲陽園というものを今日初めて知った。私と葉全く縁遠いもの。手に届かないものがある。夢こがれたもの手にしなければならないもの、子供のころからの夢を達成しえない。実力がない、経験もない、嘆いても仕方ない。22歳になった。何も変わってない。大学にいる人大半が年下だと思うと胸が苦しい。