屑ばかりだな私の中は。どうしたらいいの。ねえってば。きいているのかな。君の為に今日生きたのに。君は今日死んでしまったね。私は生きたのに君は死んだ。おかしいね。

この学校に入学してから私の人生は狂ったと何回も思った。でもいけなかったのは私の方だったのだ。私がすべていけないかった。自分の人生を自分で切り開こうとしなかったのだ。人生は自分で作るものだという事実を隠していた。かくれないものを隠した気になってても仕方がないのに。エントリーシート間に合いませんでした再び。私はどうしたらいいのだろうか。受かるはずのない企業にESを送り続けている。もうこんな人生いやだな。死ぬ前に友達替えたい。野澤さんと友達になるまで私は死ねない。野澤さん素敵なんだよな。もうどうしようもないくらいに。一目ぼれして、話をしている詩型を見てまたかっこいいなと思った。野澤さん本当にかっこいい。惚れ惚れしました。まいいか。なんとかしないと。自分は負けてばかりではいられない。田舎出身の地方Fラン私立大文系でも負けない。もう負けたくない。学歴で人を見るような人間と付き合わない。とは思っても皆学歴で判断するのだろう。許さない。早慶上智は特に許しがたい。なぜ早慶が上位校なのか理解に苦しむ。それに私がいる大学もう本当に終わっておる。もう生きていく気力をすいとられてしまうくらいにこの大学にはいいところが一つもない。自分の人生をいかようにすべきか分からないのである。私は人生と社会をなめてかかっていた。後悔でしかない。わかっていただろう自分でも本当は。こんなところにいるべきではないと分かっていたはずなの人どうして私はここまで落ちこぼれてしまったのだろうか。私は間違っていたのだ。こんな懺悔じみたことを真似たって何の意味もない。行動のみ価値があり評価される。夢はある。なりたいものはある。それになろう。人生壊れてもそれになることができれば本望ではないか。何かが犠牲になるのは仕方がないし、犠牲なんて無意味。気にしなくていい。犠牲になったもの、なんて言い方おかしい。そもそも自分のものになっていなかったのだから。犠牲というよりも、もとから私の人生にはなかったものなんだよ。人から非難されても私の人生を歩むことができれば後悔しないのではないのかな。でも人と違うことをすることが本望ではない。人と生きたい。一人では生きていきたいくない。助けてと言っても助からないの。自分で自分を救済するしかないの。こういうことだよな人生は本来。

 

社会から認められたい。それに尊敬する人と働きたい。だから大企業にいきたい。これが本音。特に総合商社に入りたい。のに入れない。実力が伴っていないから。中途入社で入るにはどうしたらいいのか。分からない。「すみません」なんて言葉は逃げだ。誤らないでいいようにすることが大前提だ。バカだ私は。もうどうにかしないと、どうにもできなくなる。そうしたらいいのかな。どうしよう。人生どうしよう。私はどう生きたらいいの。社会に認められないとどうどうと生きれない。独特の道なんか歩みたくない。みなと同じ道を歩きたい。それなのにうまくいかない。この糞。糞が。糞ども。夢とキラキラを追ってはだめだ。現実と目標を追わなくては。

立命館アジア太平洋大学に入学することに何のためらいもなかった。なぜなら当時はここに入学すれば人生に狂いはないと確信していたからだ。と言うのも私は周りに何かをしてもらって成長するものだと思っていたからだ。組織が自分を育ててくれるものだと勘違いしていた。小中高を経てそのような感覚が染みついていた。間違っていた。ようやく気が付いた。遅いかもしれない。でも気が付いたのだ。このっまではいけないと。私はなかなか大人になり切れていないと思う。大学生なのだという自覚も少ないままに留年を経て就活をすることとなった。どうしたらいいのかわからない。もう生きていいのかさえも分からない。このような不安定な自分になったことがない。先の見えない人生を歩むことになるなんて想像していなかった。

就職活動がもう嫌、と言うのは入りたい企業に入れないことを理解しながらも時間をかけてその企業にESを書いているのだ。留年したら銀行にははいれない。第二新卒ではもう生き残れない。毎日毎日生きていることが申し訳ない。今日も生きているの。死にたい。死にたい。死にたいと口に出しても、むしろ煙たがられる。むかつく、死ねばいい。なんていってもみんな死なないのだ。私人生滑ってる。望んでない。こんなのおかしい、望んでいません。このような人生を私は全く望んでいません。これは何なのですか。おかしいですね。もう死にませんか。誰か一緒に死にませんか。いや一緒にしにたいわけではない。このようなぐだぐだした感じが嫌いなの。もうイライラしているの。あああああああああああああああああああ、このようになることがわかっていたらこのような選択はしなかった。いけないね、いけないことよ、自分で自分でご褒美なんて馬鹿じゃないですか。そんなことしたら自分は奈落の底に落ちます。自分は自分が思っているほど大した人間ではありません。もうみなからバカにされるようになった。これから先の人生を自分はやめることはできない。だからもっとも納得するだろう人生を歩むの。なにを求められているのだろうか。友達など作らなかったことが災いしている。私は内定を獲得せねばならない。自分が置かれた現実を受け入れるkとから始める。嫌いなものは嫌い、いや、全部嫌いだった、所属する場所がすべて嫌いだった、好きになったことなんてなかった。時間は過ぎる。無情にも、なんて慣用句が付くのが常になっているけれども気持ち悪い。気持ちが悪いものだな。へえ、げろげろげろおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえおえええええええ~~~~~胃の中のものが外にあふれ出したのだ。汚いね汚いよ。そうだね、人は話してみないとわからないね、私は人を見た目で判断してしまい損をしているのだ。またひとを 見た目で判断させてしまってもいるのだ。だからいけないのね。うん。

生きることは稼ぐこと、一生懸命になること、得意になること、好きになること、お金が稼げること、共に生きる仲間がいること、衣食住の安定、友達がいること、趣味を極めること、認められること、野心があること、自立していること、目標があること、自分に厳しくできること、負けない事、年を取ることはいいことなのか、分からない。でも生きているのだから人生を全うしようと思ってきています、人生を殺すのだ。人生を殺してやるくらいに生きてやるのだ。負けてはいけないのだ。負けない、自分に、周りに人生に。一番醜いものは贅沢と自慢と見栄と羨望だ。んなもん無駄だ。人生の目標にそぐわないし、時間がたてばどうでもいいものに変わるものなんて所詮そのようなものってこと。生きることは小賢しくなるということ。賢く生きるのだ。惰性に身を任せては望まない人生になる。一生けん命いきる。認められるには時間がかかる。偉そうなことは言いたくない。偉くもなんともない。私は今の限界が今が私そのものだ。何もできない私が私であってそれ以上でも以下でもない。これが私。ES書けないのが私。もう死にたいのが私。勉強できないのが私。資格も何もないのが私。小学校の免許ないのが私。生きる資格がないのが私。自分を勘違いしていたのが私。こじらせている。なにものにもなれない。これがわたし。今なっていないのだからなれないのだ。今の状態が私のすべて。これ以上でも以下でもない。夢は見ない、現実だけを見つめよう。もしもなんてない。今が現実。これ以上でもいかでもない。いやわからんよ?なんて100ないから。感情が気分が人生になっている。こんなの間違ってないですか?違うと思うのです。最後の小さな望みに私は全力投球せねばなりません。人生ですから。私、賢く生きないとダメですね私朝井リョウのラジオ好きでよく聞くんだけど朝井リョウは頭いい。彼は面白いし考えが深いし生き方がうまい。私の悪いところは気分がよけれが良くて悪ければダメとしている所だ。これをそのように方向転換すればいいのだろうか、むりだ、絶対に無理だと思っていることに手を付けなければ自分は変わることがないと思っている。このような自分が自分なのだから、違う環境に行きこの自分ではない自分が求められることをしないといつまでたってもこの自分から抜け出すことは到底できない。

もうこんな時間は二度と訪れないだろう。この様な人生はもう二度と来ない。この先社会に出て何もない自分を受け入れてくれる所なんてどこにもない。自分は自分として生きていかねばなならない事に死にたくなる気持ちと同時に安堵の感情が0.02割芽生えている。これは人間であることを最近実感していしまった。悪い人間になった私は悪い人間になった、このような悪い人間はいかように裁かれようか。あおぞら銀行での出会いはさいこうだ。しにたい。もう死にたい。商学部のやつが簿記二級持っているのだ。しかも1年生でとったらしい。しかもテニス部で頭が切れる。もういい。もう助けてそのような人間がいるところで私も働きたい。頭がいい人間がいる所でないといやだ。だから銀行がいいのだ。銀行ならば。。。。。。地銀は無理だな。人間が集まるところ。企業。優秀な人間になりたい。自分は社会に認められたい。きちんとした形で社会に認められたい。こういうことなのですよ。マウンティングなんて醜い。そんなものに参画しなくてもいいような人間になりたい。私は私の人生を、なんて言っているけれど、そんなこと言っていたら笑われる。でも妥協したらおわり。人生を作るのは私。人間と関わることこそが人生だ。人生は人間がいないと楽しくないし形成されないしうまく生きれない。人と関わらないとうまく生きれないことがわかったし、むしろ損をすることがわかった。正解はない。人生に正解はない。子どもはわがままだと思うのは自分が思った通りに行動しないからだけれど、それはあたりまえ。だって一人の人間だ。子どもは子どもではなくただの小さい人間なのだ。小さい人間、知識量が少ない人間。それだけ。でも子どもにじんせいを 振り回されるようなことは起こしたくない。人生は自分で決めたい。誰と生きるのかが大切。自分が共に生きたい人と生きるには自分も変わる必要がある。生きるのだ。死ぬまで私はこのまま私なのだ。過去は消えない。過去も死ぬまでずっと私のものとしてあり続けている。これは変えられない。仕方がない。後悔しないように自分の人生を生きる。損はしないほうがいい、損しないためには賢くなければいけない。勉強も遊びも賢行うのだ。でもそのための技量を私はこの大学生活で捨ててしまった。自分勝手な毎日の時間の過ごし方に安住していた。これではこの先、生きていけないというのにこれでいいと諦めていた。これではだめだし、こうであってはいけないし、こうありたくない。。人生だよ、人生になのだ、この時間が私の人生なのだ。人生はどこにもないけれど、頭の中の今までの記憶とこれまでみに着けてきたものすべてが人生だ。だから怠惰はいらないよね。要らないもは最初から手に取らないようにしたいね。でもこの性格も逆にダメなのだろう。何がいい悪いなんてものはない。ということは結局は自分が納得するか否かだよなんてこと聞くけれど、それはそれでうざいものがある。今日も明日も明後日も私だ。昨日と違う今日かもしれないけれど毎日同じ私なんて飽きるな。もう飽きちゃったし誰からも必要とされていない。もうこういうことなのだ。口だけ達者。こういうことだ。これではいけないって。こうありたいわけではない。自分はこうしたいのにどうにもならないでは人生つまらない。小さな会社には入りたくない、先の見えない人生を送りたくない。もう人生辞めたい。人生をやめるのか。今日も生きた。でも何の知識もやり甲斐も希望も見出すことができなかった。これが果たして人生なのか。こんなことやって何の意味もないって思える仕事は嫌だ。こんなことならしないほうがいいに決まっている。

I never...............................

諦めない。後悔するのであきらめたら後悔しますので。諦めてはいけません。もう助けて下さい。来年の今頃にはもうここにはいないのです。来年はここにいてはいけないしこんな暮らしをしてもいけないのです。だからだからとても怖い。未来が想像できないことがこんないもこわいなとは。そういえば私の未来は今の私が作るものでこれ永遠なるものになるのでしょうか。ああこわい。もうこわいよな。もうどうしたらいいのかね。どう生きたらいいのかな。もうこわくてしかたがない。恋人だって年取れば自然にできるものだと信じて疑わなかったけれどそんなことなくて自分で作らないといけないのね。ああ。そうなのね。仕事だって、大学出れば何かしらにつけるものだと思ってたし自分にはそれなりに何かあるだろうっ思っていたのに、でもいざとなって考えてみても何もでてこないし、むしろ何もない。自分には何もない。何もない無価値なんだなと気が付きました。それに私はもうやめないといけません。何をかってそれはそれはそれだよ。気が付いたならばやめなけいと。だってもうしてないけなっことをしているのだから。それが許される期間がもう終わろうとしているし私は話してはいけない人たちと話していることに気が付きながらも自分落としている。なりたい自分はこのようなじぶんではないはずなのだ。何がしたい、これがしたい。何をすべき。何をすべき。何ができる。何が向いている。何をしたら後悔しない。成功できるのか。しっくりくるのかさえも私は自分で見つけようともしなかった。時間は人生だし時間の使い方は性格だ。お金の使い方と時間の使い方で人格を見測ることができるような気がしている。これではいけない。なりたい私ではない。私は決して楽がしたいわけではない、だって高校生の北海道大学めざしている人なんかなれるために夜の2時に寝て朝の6時に起きる訓練しているらしい。しかもサッカー部で勉強もしている。なんて私よりも頑張っているのだろう!私よりも頑張っている人なんて山ほどいてそれが成果になって表れているのだ。私が出した成果が認められないのは私よりもできる人がいるからである。自分だけだと殻に閉じこもり卑屈になって世間を批判してばかりでは何の進展も成長もない。このような人生にしたいはずではない。私はこうしたいわけではない。私がなりたいようにしなければならない構想を抱いているだけではだめなのだ。実行しないと私は確実に後悔をする。少し無理をしてでも成し遂げなければ私の人生には何の進展もないし、自分の人生を自分で形成しているとは言えないのではないか。行動した分だけが私の人生であり周知の事実として残る。構想だけでは人生ではない。私は生きるのだ。生きているのだ。まだ死人ではない。過去の栄光も糞もない。私には何もないの。今からつくらないと手遅れになる。今できることを最大限にする。私は怠けるとダメになる。逆にやらなきゃと追い込まれている状況が普通でないとダメになる。これがわかったの。何もしなくてぼうっとしている時間が好きなんだなんて思ってたし、確か井につかれているときは無心に何も考えないでご飯を口に運ぶことが快楽だった時もあったけれど、それが本当に人生ではない。私は人生を完成させたい。毎日の怠惰に押しつぶされて人生が何だか分からなくなる前に自分の人生を再構築してきちんと胸を張って生きたい。晴耕雨読の人生もいいなと思ってたけれどやはり私は自分の人生を歩きたい。せっきゃくはできない。自分の人生を歩かないといけない。歩かされる人生もあるだろう。自分に武器がないといつでも奴隷になる、社会で生き残るには何者かにならないといけ。社会に認められたい。何として認められるのか。何を仕事として生きてゆくのか。稼いだお金で贅沢をすることが私の人生ではない事は明白である。私は何に貢献できるのかしたいのか。何に夢中になれるのか。夢中になれる仕事がしたい。とにもかくにも私は勉強押して専門家になりたい気持ちもあるけれど日本に閉じこもるのは嫌だ。だからメーカーで働くのがいいのかななんて。結局日本が学歴社会なのだと分かりました。学歴社会だと親から教えてもらったことはないけれど小さいことから教育はしっかりする機会を与えてくれました。教育は人生だ。これからどのようにして人生を形成していけばいいのだ。これからの人生をどのようにして生きていくのが正解何かわからない。とにかく人間として最低限の義務を果たさないといない。夢を追うならば確実に成功させないといけない。。これからの人生確実に生きていかないといけない。生きるんだ。落ちないように落ちないように。誰と生きるのかが重要になってくるな。誰とどのような人と関わるのか。関わることができるのか。ちゃんとして人と関わりたい。てかこのPCばぐるからすこくむかつく。タイピングが遅い。入力されるのが遅れている。

情けない。今日も生きた。情けない。死にたいと思いながら生きてきたなんて恥ずかしい。人生がどうにもならなくて、取り返しのつかない事ってあるんだね。ごめんね私。

わたしはみんなと比べて何か少しずれている。バカなんだ。ほんまもんのばか。勉強しない人は気持ち悪い、と言われる世界に来た。人生人生人生とたった22年間の人生を考えろ考えろと追い込んでくる何か。自信を持ってといわれるけれど、何もなかった人生に自信なんて持てるわけがない。誰も認めてくれない。先の人生のこと気にしてもどうにもならない。人生は臨機応変に決めていくものだからなんて言ってみた。これが習慣なのかと最近気が付き始めた。高校生からの友達を見て自分を顧みて悲しくなった。心が悲しい。何もない私と何か持っている彼女。嘆いたところで何も変わらない。この人生にしっくりこない。この選択が間違えている気がしてならない。でもみんなはこのまままっすぐ進めと言ってくる。このまま社会人になれと。たしかに20代は人生を大きく決定づける。人と人生を比べるなとかいうけれどそんなの無理だ。比べても何にもならないけれど。ずっと私は行動しないまま嘆いて安心して生きてきたけど、この人生に対する判決が下された。この先の人生ずっと過去を引きずって生きろという判決。これを覆さない限り私は人生ずっと間違えて生きることになる。この4年間でかなり認知症が進んだ。人間失格だな。

いま

人生の価値が露呈し死にたくなり、お前はまた死に逃げるのかと、怠け者だなと言われています。生きる場所がどこにもないなんて考えられませんね。たった100円でも人は恵んではくれません。たった100円、無駄遣いしたことあるとおもいます。でもその100円に泣く時が来る気がしています。お金と時間と自分の価値と人生と目標。なんかみんな重たすぎて私には関係のないことみたいに感じています。みんなが就職活動に精を出している中私は就活のことをバカにしています。生きていることがばかばかしい。なんでみんな死なないの。とばかり思っていました。働きたい奴は働いて死にたい奴は死ねばいい。そんな社会だよね。死にたいならあなたはそのままの貴方でもいいけれど、今あなたがここで死なない選択をするのならば(いくら心の中で死を熱望しても)生きることに責任を取らねばならない。責任とは「生きるを作ること」「形に残る、誰かから理解してもらえるような何かを生み出しながら生きること」「プラスに働区何かを自分のものに常にしながらいきること」自由も自然も美しさも動物的自由もこの世界で生きるのならば許されない。私の生きる世界では不要で邪魔なものらしい。不要なものは排除されていく。どんなに良くてもいらないから切り捨て。それが不服だと言っているうちは何物にもなれない。この世の不公平と理不尽を受け入れたふりをしながらも腹の底で別世界を構築し自分らしく生きるのが正解。組織の力は個人よりも強いことは明白だ。個々人で生きていてもその世界は必ず滅ぼされる。世界に1つしかない世界に自分しかいないのだから、周りに染まらないと傷つけられるだけだよね。

ひとりごとは言い訳を勝手に書いてしまっている。店長の面接ありがたいけれどもうスケジュールが決まらなくてもういい。

私は一人では生きていけません。肉体的には生きていてるでしょうがひとりで生きてるのは生きていないような感覚なのです。人といるとその時間が無駄ではないような気がします。生きるとは人と生きることです。一人で生きててもなんの生産性もありません。人を好きになったり尊敬したりすることは自分中から甘えを消すということです。自分の中の甘えは恥ずかしいものです。友達に夢があると知り、さらにそのために一日の睡眠時間を4時間にしていると知って自分何してんと思いました。そんなに純粋に生きてもいいのだと、わくわくしました。私にもあうあわないの人がいて無理に逢わない人に合わせると自分が自分ではなくなるし向上もしないのだなとおもいました。時と場合に依るけど。これって就職活動にも当てはまるのかなと思った。何でもできるとばかり思ってたバイト。すき家で働いた。ケンタッキーでも働いた。イメージ的にははきはきしてて明るくてって感じだった。そのイメージはCMや世間的なものから来ていた。確かに受け答えなどはきはきしているし店のイメージも明るいし忙しいものだった。でもはたらくひとがどうしても合わなかったし尊敬できなかったし好きになれなかったし、自分がここにいて成長できている実感が全くなくて、こんなにも誰にでもできる仕事はないし、ロボットでもできると思ってた。それに、私も未熟だったのもある。申し訳ないだなんて人に気を使うなんてできていなかった。だれも信用できていなかった。それにあそこは人腐っていた。上が客の悪口を言う。接客の仕方は教えてくれない。なにも厳しくなかった。BOOKOFFは人を大切にしてくれて私自身を見てくれていた。高野悦子の20歳の原点をよみたい。めるかりでPC買って今使っているけどなんでこの値段かわかった。遅いこの先お金がないからにもできない。

あまいねんて。あまいねんて。頼りすぎやねんて、自立しなくては。意味のないことはやめろ。もうおとなやねんて。店長!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!どどどどどどどどどどどどしよ。もももおもももももおもももももももももも