最近人生について思ったことがありました。「つまらない」これにつきます。そして知らない人と仲良くすることの無意味さ。色々なことを知れるという意味ではとても良いのだけれども、人生に何か強い影響をもたらすかといえばそうでもない。それならば本を読んだ方が知識は増える。しかし生身の人間であるからこそ得られるものもある。人間は常に嘘をつくから直接聞いたことが正しいと限らない。なんだか疎遠。どうにもならない人と繋がるなんて無意味で時間の浪費でしかない。何にもないけど若さだけはある。本で「終わった人」を読んだ。終わった人。定年退職を迎えた無残な仕事人間。まだまだいけるのに年齢のせいで何もできなくて行き詰っている。家にいると邪魔者扱い、友達もいない、自分はじじばばの仲間になりたくない、だからサークルにも入りたくない。かといって仕事は残っていない。自分の方が若いやつより仕事はできるのに。あとはなにもしないで年老いて死ぬだけ。こんな人生の末路なんて怖すぎる。就職活動って企業の何になるために活動なの。人生をお金をもらうために使ってあっという間に60になるのかな。人生設計が上手くできない。世代交代が行われて自分はもうすぐ捨てられる立場になるのか。頑張ったものだけが平等に報われる社会じゃない。コネがあって能力ない人とコネなしで能力が人一倍ある人。普通なら能力ある人を昇進させるけど、社会に出たらコネで全てまかり通る。そんなつまらない社会。人に自分の人生を握られる人生。私は挑戦をしなかった。楽をしてきたのだと今気が付いた。努力というキラキラした魅惑の実態のないワードにうぬぼれて生きてきた。馬鹿である。もういいんだ。それはそれでもうよい。もうよい。これからの人生を考えるときがやってきた。私は人生の中で何があれば十分だと言えるのかと考えた。

こわいのだ、こわくなんかない。もうどうしたらいいの、弱音ってなに。ばかじゃないの。大学に行くと疲れる。人間関係という居場所がないせいだと思ってきたけどもそうではない。もう誰のせいにも何かのせいにもしない。自分を責めても何も変わらない。代替案もないのに責めるのはばかげている。ああもう9月が終わるのです。私はお金に助けられて生きることになるでしょう。お金はいらないなんてかっこいいことは言えない。お金に執着したくもない。何のために働くのか、今思い就くことはお金が欲しいから。早く奨学金を返して、親に学費を返済して、親から一刻も早く自立すること。35歳になるまでに子供を産むために結婚を。なんてことを考えているのだろう。私はこのままで本当に良いのか。良いのか悪いかは後々後付けでいい方にとらえることができるとして、今の私はなにを。なんて言ってる私は何もしていない。これがいけない。どんな人生を歩んでも後悔はする。結局どんな人生になっても「どんな人生にも意味がある」という陳腐な言葉通りに意味を成していると考えて今を肯定しながら生きていくのだろう。だからなんですか。今これを書いていることが無駄に思えてならない。全て行動していないのだから机上の空論じゃん。何かするにも正当な言い訳を肯定していることに気が付いた。これもこれもこれも。誰とも関連を持ちたくない。持った瞬間私はよそ向けの私になる。だから知り合いは少数でいい。でもできるだけ多く関係を持った方がいいことはなんとなく理解している。どうにもならない八歩塞がりで金欠で能無しと老化。これらが私の敵なので越えなければいけません。無駄なことをつらつらかきました。何の面白みもない。