ことり

小鳥が糞を私の肩に落とした。

 

グリーンのニットに白い糞。目立つ。仕方ない。ニットだから細部にまで糞が入り込んでいるだろうなと思い鬱になる。今日も仕事。大嫌いなパソコンを使う。若いってだけで重宝される。50代にもなると周囲から煙たがられる。居づらい。

 

家に帰ったら年を重ねた両親が食事を終えてテレビを見たり横になっている。そんなどんよりとした空間にいると私までどんよりしてしまいそうで、考えるだけでまた憂鬱になる。私の居場所ってどこなの。未婚だから当然子供もいない。妹と弟は結婚してそれぞれ家庭がある。私が唯一居ても許される場所は職場かこの家くらいである。

 

 

いつもとおんなじ道のりをおんなじ歩幅で歩く。歩くときはいつも左側と決めている。頭の中にあることもいつも変わらない。仕事のこと、ご飯、両親。それ以外の事象は頭の中にない。私の頭の中はとってもシンプル。つまらないほどに何もない。それでも毎日毎日ロボットのように朝ちゃんと起きて出勤し、仕事をこなし、まっすぐ家に帰り、家事をして、両親と一言二言かわし仕事の準備をしてねる。これのくりかえし。何が楽しいのか自分でもわからない。

 

 

職場に着いた。気持ちを切り替えて、表情も切り替える。

 

 

なんで自分はこんなことしてるんだろうか。やる気が起きない。やること全てが無意味に思えて仕方ない。でも表情に出さない。

 

 

今日も昨日と同じことをこなせばいいだけ。

 

 

 

12時半。昼休み。私が一番無駄だと思ってる時間。みんなご飯を汚い口に放り込む。そのご飯がお前らの口臭のもとになってるんだ。そう思いながらも笑顔で楽しそうにご飯を囲んでいる人たちをしり目に何とか昼休みをしのぐ。

 

 

この世は不条理であふれている。この社会は昔と何にも変わってない。常に弱いものが搾取される世の中だ。能力と人格で人の価値が決められてしまう。

 

私は常にこき使われる。その代償にお金をもらって生きてる。私は自由な奴隷だ。死ぬまでずっと奴隷なのだろう。それに私等は奴隷がいるから生きているようなものだ。奴隷は自らが奴隷であることに気が付いていないし、愚か者は自分が愚かである自覚がない。奴隷社会。名前と姿を変えて時代の変化に対応して存在し続けている。

 

 

私はグリーンのニットに付いた小鳥の糞を気にしない。まあ、ついていてもいなくても所詮私は奴隷であり、何の所作もない。すべては仕方のないことなんだ。

 

 

奴隷として生き、それで得たお金で奴隷が働く店に行きお金を使う。

そんな社会。

 

人がいきる世界に生まれて人として生きてきた。でも人になりきれなかった気がしてる。そうだとして私は何者なのかと問われても正解を口にはできない。人間社会でしか生きたことがないんだ。