もう一つの私の物語

私は京都に生まれ祖父母の歴史ある家に行くことが好きだった。お抹茶を立てるのが上手な祖母の真似をして幼いころから稽古をしてもらった。祖父はお寺の住職であり農家でもあった。だからいつもお客さんが出入りしている。お正月には近所の人や檀家さんたちと一緒にお雑煮を作って食べる。そしていとこが沢山いる。お母さんの兄弟は4人。お父さんの兄弟は3人。だから必然的に多い。同い年の子は3人いる。一人だけ女の子で2人は男の子。私は末っ子で上には一つ違いの姉がいる。年が近い分仲がいい。そんな家庭環境で育った。お父さんは総合商社で働いててお母さんは銀行で働いている。祖母は昔高校の英語教師をしていた。祖父はメガバンクに勤務していた。それだから小学校からは私立に通った。名門といわれているところだった。逆に言えば温室。同じような子供たちばかりだから刺激が少ない。それがいいのか、悪いのか。一年生の時から家庭教師が付いた。先生は25歳の女性で明るくて楽しい人だった。その人に沢山のことを教えてもらった。今でも仲がいい。習い事はバレエとバスケットボールをした。6年生まで続けた。中学からピアノを習い始めた。遅いと言われているけれど仕方ない。そしてバスケットボールの部活に入った。中学は公立の付属中学に入学した。中学生になって初めて彼氏ができた。その人とは半年で別れたけれど、2年生の秋に知り合った彼氏とは3年間付き合った。高校入試に差し掛かり進路のことを考えて、東京の女子高に進むことにした。彼氏とは遠距離だけれど仕方ない。それに医者になりたいという目標と東京大学に行きたいという目標ができた。入試に向けて勉強した。結果は第一志望には落ち丈台に志望に合格して京都を離れることになった。寂しくはなくわくわくでいっぱいだった。4月から寮生活が始まった。部活はバスケットにはいりピアノはたまにロビーにおいてあるのを使って弾いた。2年生の時に彼氏と別れた。そこから受験勉強に没頭した。ときがたち三年生になりセンター当日。緊張はしなかった。早く解放されたい気持ちでいっぱいだった。結果はよくはなく足きりにあった。志望校を替えた。結果的に大阪大学に医学部を目指して勉強したが不合格で浪人が決まった。浪人生活は東京に家を借りて予備校に通った。毎日12時間以上勉強した。東京大学を受験したものの不合格だった。後期で大阪大を受け合格した。安心。みんな喜んでくれた。祖父母も両親も姉も友達も。春から大学の寮に住むことになった。サークルはラクロスと音楽系のに入った。友達もでき始め毎日が楽しくなった。彼氏もできた。勉強も順調だ。