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今が私だ。これ以上でも以下でもない。

立命館アジア太平洋大学 

もうこんな時間は二度と訪れないだろう。この様な人生はもう二度と来ない。この先社会に出て何もない自分を受け入れてくれる所なんてどこにもない。自分は自分として生きていかねばなならない事に死にたくなる気持ちと同時に安堵の感情が0.02割芽生えている。これは人間であることを最近実感していしまった。悪い人間になった私は悪い人間になった、このような悪い人間はいかように裁かれようか。あおぞら銀行での出会いはさいこうだ。しにたい。もう死にたい。商学部のやつが簿記二級持っているのだ。しかも1年生でとったらしい。しかもテニス部で頭が切れる。もういい。もう助けてそのような人間がいるところで私も働きたい。頭がいい人間がいる所でないといやだ。だから銀行がいいのだ。銀行ならば。。。。。。地銀は無理だな。人間が集まるところ。企業。優秀な人間になりたい。自分は社会に認められたい。きちんとした形で社会に認められたい。こういうことなのですよ。マウンティングなんて醜い。そんなものに参画しなくてもいいような人間になりたい。私は私の人生を、なんて言っているけれど、そんなこと言っていたら笑われる。でも妥協したらおわり。人生を作るのは私。人間と関わることこそが人生だ。人生は人間がいないと楽しくないし形成されないしうまく生きれない。人と関わらないとうまく生きれないことがわかったし、むしろ損をすることがわかった。正解はない。人生に正解はない。子どもはわがままだと思うのは自分が思った通りに行動しないからだけれど、それはあたりまえ。だって一人の人間だ。子どもは子どもではなくただの小さい人間なのだ。小さい人間、知識量が少ない人間。それだけ。でも子どもにじんせいを 振り回されるようなことは起こしたくない。人生は自分で決めたい。誰と生きるのかが大切。自分が共に生きたい人と生きるには自分も変わる必要がある。生きるのだ。死ぬまで私はこのまま私なのだ。過去は消えない。過去も死ぬまでずっと私のものとしてあり続けている。これは変えられない。仕方がない。後悔しないように自分の人生を生きる。損はしないほうがいい、損しないためには賢くなければいけない。勉強も遊びも賢行うのだ。でもそのための技量を私はこの大学生活で捨ててしまった。自分勝手な毎日の時間の過ごし方に安住していた。これではこの先、生きていけないというのにこれでいいと諦めていた。これではだめだし、こうであってはいけないし、こうありたくない。。人生だよ、人生になのだ、この時間が私の人生なのだ。人生はどこにもないけれど、頭の中の今までの記憶とこれまでみに着けてきたものすべてが人生だ。だから怠惰はいらないよね。要らないもは最初から手に取らないようにしたいね。でもこの性格も逆にダメなのだろう。何がいい悪いなんてものはない。ということは結局は自分が納得するか否かだよなんてこと聞くけれど、それはそれでうざいものがある。今日も明日も明後日も私だ。昨日と違う今日かもしれないけれど毎日同じ私なんて飽きるな。もう飽きちゃったし誰からも必要とされていない。もうこういうことなのだ。口だけ達者。こういうことだ。これではいけないって。こうありたいわけではない。自分はこうしたいのにどうにもならないでは人生つまらない。小さな会社には入りたくない、先の見えない人生を送りたくない。もう人生辞めたい。人生をやめるのか。今日も生きた。でも何の知識もやり甲斐も希望も見出すことができなかった。これが果たして人生なのか。こんなことやって何の意味もないって思える仕事は嫌だ。こんなことならしないほうがいいに決まっている。